離別と道徳——川上弘美『神様』

「抱擁を交わしていただけますか」
くまは言った。
「親しい人と別れるときの故郷の習慣なのです。もしお嫌ならもちろんいいのですが」
わたしは承知した。

川上弘美『神様』17頁

川上弘美『神様』(中央公論社、2001)は、「わたし」の語りで綴られた9つの短編からなる。表題作「神様」と、その続編「草上の昼食」では、「わたし」と「くま」のあたたかな交流がえがかれる。

くまとは文字通り、熊だ。「雄の成熟した」、大きな動物。
くま自身も「今のところ名はありませんし」と、「くま」以外であろうとはしない。何やら様々な事情を抱えているらしいが、「わたし」はそれを聞き出そうとはしない。
語り手である「わたし」にも不明な点が多い。『神様』の中に散らばった「三つ隣の305号室」「隣の隣の304号室」といった記述から、ある集合住宅の302号室に住んでいることはわかる。が、職業や年齢、経歴は一切明かされない。短編同士の時間軸もすっぽり抜け落ちている。実のところ、それぞれの短編における「わたし」が常に同じ「わたし」であるかどうかも、定かではない。

そんなくまと「わたし」が抱擁という交点を持ったのが、冒頭で引用した部分だ。くまに別れを告げられた日、「わたし」は「あのときの抱擁は、おずおずとした抱擁だった」と回想する。不明な二者がゆるくつながり、互いを開示しないまま交流を終えていく。自己開示の未完了は、ここでは良識に類する。

「結局馴染みきれなかったんでしょう」目を細めて、くまは答えた。
馴染んでいたように思っていたけど。言おうとしたが、言えなかった。ほんの少しなめたワインのせいだろうか、くまの息は荒いだけでなく熱くなっている。
わたしも馴染まないところがある。そう思ったが、それも言えなかった。かんたんに、くらべられるものではないだろう。

同書 184頁

彼らは、彼らのあいだに横たわった一線、とでも言うべきものを踏み越えなかった。
自身の境遇や苦しみを洗いざらい話してしまうことによって、あるいは他者と対決し和合することによって、ドラマチックな物語は生起する。しかし「わたし」は、そうした物語からは距離を取る。代わりに、ごくごく素朴な思いやりを他者に向け、離別の痛みを引き受ける。

寝床で、眠りに入る前に熊の神様にお祈りをした。人の神様にも少しお祈りをした。ずっと机の奥にしまわれているだろうくま宛の手紙のことを思いながら、深い眠りに入っていった。

同書 192頁

「わたし」はくまの他にも、様々な不思議な生きものたちと出会う。彼らは説明もなしにぽんと現れ出でて、当たり前に生活する。不明であることが了解されながら、「わたし」と彼らの関係は進行する。

「夏休み」「離さない」は他と少し違った印象も受けるが、根底にあるものは同じであろう。「わたし」は、自己と他者が同一化しそうなほどに強く結びつく痛みを退け、つないだ手を離す痛みを受け入れ続ける。
謎は謎のままに、別れの時が訪れるまで付き合っていく。自己と他者とが分かたれているからこそ、自分のできうる範囲で相手を思いやる。これが作品全体に貫かれた、誠実であたたかな態度であるように思われる。

くまの手紙を読んだ日、「わたし」はどんな夢を見ただろう。
くまと一緒に草原で寝ころぶ夢だったかもしれないし、全く違う夢だったかもしれない。
いずれにせよ、「わたし」にはそれを話す動機はない。目が覚めたら、いつも通りの一日を過ごしていくのではないだろうか。

参考文献
川上弘美『神様』(中央公論新社、2001年)
大塚英二『サブカルチャー文学論』(朝日新聞社、2004年)